湘南啄木文庫ブログ

このブログは佐藤勝が個人的に収集した歌人・石川啄木に関する「よろず」情報を紹介いたします。また、私の雑多な日常的な話題や趣味の世界(落語や演劇鑑賞、読書体験)なども記してゆきますが、いずれの部門の同好の方々からのご協力なども頂くことが出来れば有難いです。なお、石川啄木に関する文献を主にした「湘南啄木文庫」のホームページ(http://www.ne.jp/asahi/shonan/takuboku/)の方も覗いて頂ければ嬉しいです。

朝日新聞(文化面 2020年7月23日)に載った若手の現代歌人、山田航氏の啄木観は、新しい啄木像だ!

少し紹介が遅れてしまったが、去る7月23日(木)の朝日新聞(文化面)に掲載された放映中(当時)のアニメ化された伊井圭原作『啄木鳥探偵處』(創元社文庫)をアニメ化して12回にわたってフジテレビ系の地方局からの電波も駆使して全国的に放映されたもので、BSフジテレビでは日曜日の夜12時からの放映であったにもかかわらず、若者間でも話題になるほどの人気を得た作品であったようだ。

現に私のような年配の啄木愛好者にも、懐かしい、本当の啄木伝のようだ、と言った声が伝わってきた。

そのアニメ化された「啄木像」について、若手の現代歌人である山田航氏が、見事な人間啄木を捉えた所感を寄稿されている。

有難いことに先日、友人から写真版、そして昨日は、別の友人から新聞の現物が送られて来た。

私が「100年後に残る自著」として自負しております『続・石川啄木文献書誌集大成』(桜出版:2018年12月1日発行)と『石川啄木文献書誌集大成』(武蔵野書房:1999年11月1日発行)の2冊の自著を挙げて恥としないことは、2冊の大著(550頁を超える上製本)を刊行できたのは、このような全国に住む多くの人たちからの協力があって集められた文献を基にして3万点を遥かに超える詳細な文献を紹介できたものなのです。続編には、予約者限定にて手製のCDに「正続」2冊の文献情報すべてを入れて無料で差し上げました。本書は国会図書館以外は寄贈されておりませんが、若い人にはCDも付けてあげた方が利用しやすいと思ったからですが、これが多くの人に喜んで頂いております。続編の価格は桜出版の代表が自腹を痛めて母校の先輩である啄木へのオマージュとして捧げてものであったからでしょう、文献の出版関係に詳しい知人から10分の1以下の定価だと聞いて私も驚きました。刊行1年半の今、残部も僅少と聞いてホッとしておるところです。

若い啄木読者は勿論ですが、年配者の中にも、再読したり今回のアニメ化された啄木像に刺激されて、啄木をもう一度読み返したくなった、という声も多く聞かれます。

そのような中で昨年の7月に発行した大室精一・佐藤勝・平山陽の共著『クイズで楽しむ啄木101』(桜出版)は、コロナで家に籠もる時間が多くなった今だから、家族で楽しめる本だと、発行して1年後の今になって、再び話題に載せて頂けることが多くなっていることも付記して置きたいことです。

中学生には、これ知っている、という喜びと、啄木愛好者はもちろん、研究者をも「うーむ」と言わせてしまう仕掛けもあります。

手ごろな価格(1200円+税)なので、未見の方はぜひ、一読ならず、二読、三読してお楽しみ頂けると著者の1人としてでは無くて、長年の啄木愛好者の1人としておすすめいたします。

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2020年7月23日号の朝日新聞(朝刊)に載った山田航氏のアニメ化された啄木観

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大室精一・佐藤勝・平山陽共著『クイズで楽しむ啄木101』(桜出版:1200円+税)

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この写真は2020年7月28日の岩手日報(地域版)に載った記事のコピーに、私(佐藤)が「クイズで楽しむ啄木101」の写真をつけて、近くの公民館で開いている「高齢者のための短歌講座」で配布したものです。

 

読み応えある 研究者集団の雑誌「啄木・賢治」第5号を発行した!

岩手県盛岡市を本拠地として活動する「石川啄木宮澤賢治を研究し、広める会」という研究者の会がある。

その会が年に一回発行している「啄木・賢治」には、毎号充実した研究論が満載である。その研究成果を満載したA5判(ほぼ週刊誌と同じサイズ:領価1000円)の誌は今年も発行されました。

特に一般の人にも興味を持って読める論稿の表現が記された目次の3頁を写真版にして載せて置きますが、中でも山田武秋氏の「啄木とダンテの地獄~「石破集」とダンテ『神曲』を中心に~」は、先行研究者の大家である方々が踏み込まれなかったところに挑んでおられる、山田武秋という人に研究者の貌が感じられて興味深く読んだ。

山田氏はこれまでにも、啄木の歌と仏教との接点について、先行研究の見直しを示唆する論稿を発表してきたが、今回の論稿にも先行研究者が触れなかった視点を示している。内容が少し長いので冒頭の1頁だけ写真版で掲載して置きます。興味のある方は最終に載せた発行所の連絡先に問い合わせてください。

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啄木・賢治5号の表紙

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啄木・賢治の目次ー3頁

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山田武秋:啄木とダンテの地獄ーその冒頭部分

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啄木・賢治 5号の発行所:連絡先

盛岡市黒石野2-7-10 望月方「啄木月曜会」内)




 

秘曲〈啄木〉と、石川啄木のペンネームの謎/加藤孝雄氏の発言は新解釈にもつながる!

今朝ほどの東京新聞(朝刊:2020年7月11日)の書評欄に石浦章一氏の書いた『天皇皇后両陛下が受けた 特別講義 講書始のご進講』(KADOKAWA)の書評が載った。その中の文言に【秘曲「啄木」のような一対一伝承なのか】という短い文言に我が家の連れ合いが気付いて「これって啄木の名前と関係あるの」と差し出された新聞を見て、早速にネットで検索してみたら本題の加藤孝雄氏の興味深い話しが出てきたので紹介した次第です。なお、秘曲「啄木」については Wikipediaにも解り易く解説されておりました。

加藤孝雄氏の文章は下記のアドレスから閲覧可能ですが、ネットの記事はサイト運営者の都合などで急に消滅する場合もあるので念のためにワードにコピーをして、これを写真版として新聞の書評の下に全文を載せさせて頂きました。

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サイト名:表文研(管理者:加藤孝雄/下記のアドレスより閲覧可能)http://hyobunken.xyz/?p=743

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啄木の「秘曲」に触れた東京新聞の書評

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加藤孝雄氏の「啄木のペンネームの謎」-1

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加藤孝雄氏の「啄木のペンネームの謎」-2

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加藤孝雄氏の「啄木のペンネームの謎」ー3

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加藤孝雄氏の「啄木のペンネームの謎」-4




 

 

石川啄木の妹光子が受け取った妻節子からの書簡の謎!

 

先ごろ、石川啄木の妹三浦光子氏の遺族から啄木の書簡などを含む貴重な資料が岩手県盛岡市石川啄木記念館に寄贈されたという記事を読んだが、その中に啄木の妻節子が書いた問題の「手紙」も含まれているか否かは私には解からない。

 先日、啄木文献を整理していたら「短歌現代」昭和40年2月号に頴田島一二郎が書いた「時間の穴~私の啄木談議~」という随想文のコピーが出て来た。

 これは啄木の妹である三浦光子著『悲しき兄 啄木』(初音書房・昭和23年1月)を発行した時に、その本の原稿は自分が書いたという内容であるが、その内容には幾つかの問題がある。

 注目すべきは妻節子が啄木没後に次女を出産した「千葉県八幡の浜」から啄木の妹光子に宛てた手紙で、今猶、現存している筈であるが全文の公開が無い手紙の「未公開」の部分に触れていることである。

 光子の著書は後に『兄啄木の思い出』(理論社・昭和3912月)と題して改訂版が発行されちる。

 改訂の理論社版を代筆したのは川﨑むつを氏で、近年、川﨑氏の遺品の中から問題の手紙を書き写した書簡が見つかった。

 しかし、この書簡に川﨑氏は欠番のあることを明確にする意図的な行為とも思われる番号をつけている。その欠番の中に書かれていたことが後の研究者にとって貴重な資料になると感じた川﨑氏の思いからなのか、真意のほどは解らない。

 その川﨑氏の書き写した節子の書簡は西脇巽氏によって活字化され「青森文学」782009年(平成2110月)に全文を掲載している。川﨑氏の書き写しによれば手紙は全10枚であり、欠番は7、8である。そこには頴田島の随想にあるようなことが書かれていたのであろうか。記念館が寄贈を受けた資料の公開が待たれる。

  古い文献を見ているとリアルタイムで啄木と接して来た金田一京助の文献なども、あながち思い違いだとか、著者の記憶違いであろうとする実証主義の研究にも疑問が湧いてくる昨今の私である

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頴田島一二郎「時間の穴」

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昭和23年発行の『悲しき兄啄木』

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昭和39年発行の『兄啄木の思い出』

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平成21年発行の雑誌「青森文学」





 

塩谷昌弘氏が、啄木の妻・節子の妹「堀合孝子」についての「研究ノート」を発表!

石川啄木の妻・節子についての書籍や研究論は幾つか出ているが、その妹について書かれた論文には管見ながら私は初めて出会った。

本論の正確な表題は『「研究ノート」堀合孝子「遂に意を果たしかね」をめぐって』である。

啄木の妻節子は啄木没後に、病身の身で次女の房江を房州にて出産した.。そして啄木の言い残した言葉に背いて函館の実家を頼り、実家で静養した。

しかし節子の病は看病にあたった母や妹にも同じ病を伝染させて啄木の没後1年後の5月に逝った。

節子の妹の孝子は大正4年2月に伊藤文吉(小樽水産高等学校の第一回生の首席で卒業した人物)と見合い結婚し、同年11月に長女のウタが生れたが大正6年10月3日、ウタは3歳に満たない幼い年齢で結核性脳膜炎にて死亡した。孝子は翌年の大正7年6月11日に姉の節子と同じ病の肺結核で死亡。27歳の若さであった。

孝子の人生を伝える文献は少ない。そのような中で塩谷氏の論稿は「天才啄木」の影に居た1人の悲運な女性に優しい光を当てた内容であり、読む人の胸に迫る温かいものを感じる論稿であったことで私の読後感は満たされたものとなった。

※著者の許可を得て下記に写真版にて全文を掲載させて頂きましたので印刷してお読みください。(佐藤 勝)

※【追記】 当初の紹介した拙文の中で触れた孝子の死期について誤記がありましたので本日訂正致しました。執筆者の塩谷氏と読者の方々にお詫び申し上げます。(2020年7月31日:佐藤勝)

※ 本論の掲載誌「近代文学資料研究」3号の発行所などは本篇の最後に記載してあります。

 

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堀合孝子研究ノートー1

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堀合孝子研究ノートー2

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堀合孝子研究ノートー3

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堀合孝子研究ノートー4

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堀合孝子研究ノートー5

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堀合孝子研究ノートー6

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堀合孝子研究ノートー7

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堀合孝子研究ノートー8

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堀合孝子研究ノートー9

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堀合孝子研究ノートー10

 

 





発行所:「近代文学資料研究の会」

連絡先:千葉県船橋市夏見台3-8-16

    レクセル船橋夏見台303 庄司方)

アニメ化された啄木と金田一京助などのグッズは販売されている!

BSフジ他のテレビ局で放送中のアニメ化された石川啄木金田一京助が活躍する【啄木鳥探偵處】も、いよいよ終盤になりましたが、本日、友人のTさんから、このアニメのキャラクターたちを描いた小さめな風呂敷(5枚セット)を頂きました。
120余年前に亡くなった和服姿の石川啄木が、今風のヘヤースタイルで洒落た学者風の金田一と一緒に、次々と事件を解決する内容だが、このようなグッズまで出ていることには驚きました。

そして、この啄木グッズの風呂敷を見て、120年前に啄木研究を始めた最初の啄木研究家である吉田孤羊の遺品の全てが、未亡人の道子さんから「盛岡市てがみ館」に寄贈されたが、その品々は、啄木や啄木周辺の人々の直筆なども含めて、3万点を超える数だと当時、寄贈品の整理をボランティアとして行っていた浦田敬三先生から伺ったことがある。

その一部を見せて頂ください機会からあり、その中には啄木の歌が刷り込まれたマッチ箱から、割り箸入れの袋や、土産品の菓子の包み紙まであって、私は圧倒されるような思いであったことを思い出した。

私も啄木文献を集めて来たから吉田孤羊さんの足元にも及ばないと思ったことが昨日のように思い出している。

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啄木グッズー1

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啄木グッズー2

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啄木グッズー3

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啄木グッズー4

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啄木グッズー5

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啄木グッズー6

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啄木グッズー7

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「啄木鳥探偵處」(創元推理文庫

 

最近の「東京新聞」(夕刊)に啄木に関する2点の文章がありました!

去る2020年6月13日の東京新聞(夕刊)に、土井礼一郎氏が「短歌の小窓」というコラムで啄木の「はたらけど/はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり/ぢっと手を見る」の歌を踏襲してみごとに今の自分を詠んでいる現代歌人の歌を例にあげて「時代を詠む」ことの素晴らしさと、先人に学ぶことの素晴らしさを綴っておられた。

また、本日、2020年6月17日のスポーツ欄のコラム「スポーツ ひと・とき」に満薗文博氏が「たまたま、石川啄木の「一握の砂」を手にしていた時だった。「いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ」の歌を文章の冒頭に引用して「球児に「一握の砂」贈る」という文章を書いている。

 啄木の歌は啄木没後100年以上経っても、さまざまな形で、さまざまな歌が、さまざまな人の文章に引用されて登場する。

 故人となった作家の井上ひさしさんは、国際啄木学会の名誉会員であった。ある時、東京支部会で講演して頂いたことがある。その時に井上氏は「啄木の歌は日本人の心の符丁なのです」と語られた。誰の心にも思い出となる「心の抽斗(ひきだし)」があって、その抽斗の中にある思い出を呼び出してくれるのが啄木の歌なのです、という1時間を超える楽しくも深く感動しさせられた講演であった。

人の心の符丁のようになる歌を詠んだ啄木の生涯もまた、短くも波乱に富んでいる生涯であるが、啄木の歌とその人生の魅力は、今も脈々と私たちの心の中に変容しながら伝わっていることを再確認している昨今だ。

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2020年6月13日「東京新聞」(夕刊)

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2020年6月17日の「東京新聞」(夕刊)