石川啄木の妻・節子についての書籍や研究論は幾つか出ているが、その妹について書かれた論文には管見ながら私は初めて出会った。
本論の正確な表題は『「研究ノート」堀合孝子「遂に意を果たしかね」をめぐって』である。
啄木の妻節子は啄木没後に、病身の身で次女の房江を房州にて出産した.。そして啄木の言い残した言葉に背いて函館の実家を頼り、実家で静養した。
しかし節子の病は看病にあたった母や妹にも同じ病を伝染させて啄木の没後1年後の5月に逝った。
節子の妹の孝子は大正4年2月に伊藤文吉(小樽水産高等学校の第一回生の首席で卒業した人物)と見合い結婚し、同年11月に長女のウタが生れたが大正6年10月3日、ウタは3歳に満たない幼い年齢で結核性脳膜炎にて死亡した。孝子は翌年の大正7年6月11日に姉の節子と同じ病の肺結核で死亡。27歳の若さであった。
孝子の人生を伝える文献は少ない。そのような中で塩谷氏の論稿は「天才啄木」の影に居た1人の悲運な女性に優しい光を当てた内容であり、読む人の胸に迫る温かいものを感じる論稿であったことで私の読後感は満たされたものとなった。
※著者の許可を得て下記に写真版にて全文を掲載させて頂きましたので印刷してお読みください。(佐藤 勝)
※【追記】 当初の紹介した拙文の中で触れた孝子の死期について誤記がありましたので本日訂正致しました。執筆者の塩谷氏と読者の方々にお詫び申し上げます。(2020年7月31日:佐藤勝)
※ 本論の掲載誌「近代文学資料研究」3号の発行所などは本篇の最後に記載してあります。
発行所:「近代文学資料研究の会」
連絡先:千葉県船橋市夏見台3-8-16
レクセル船橋夏見台303 庄司方)