湘南啄木文庫ブログ

このブログは佐藤勝が個人的に収集した歌人・石川啄木に関する「よろず」情報を紹介いたします。また、私の雑多な日常的な話題や趣味の世界(落語や演劇鑑賞、読書体験)なども記してゆきますが、いずれの部門の同好の方々からのご協力なども頂くことが出来れば有難いです。なお、石川啄木に関する文献を主にした「湘南啄木文庫」のホームページ(http://www.ne.jp/asahi/shonan/takuboku/)の方も覗いて頂ければ嬉しいです。

安部晋三元首相の死を詠む2人の現代若手歌人の歌!(啄木ならどう詠むかを考えた)

一昨日、短歌総合誌の中の1冊である「短歌往来」2022年9月号を図書館から借りてきた。

その中に「創刊400号記念」佐美雄賞・短歌賞・出版賞の歌人」という特集頁があって錚々たる歌人の作品が載っていたが私が注目したのは安部晋三元首相の死と国葬について現代歌人たちは、どう詠んでいるかということであったが、残念ながらこの特集頁で直接に詠まれた人は菊池裕氏と高島裕氏の2氏だけであった。しかも偶然なのであろうが、若手と呼ばれるふたりの名前が似ていたことも面白い。

啄木の歌に下記の歌がある。

☆☆☆☆☆

誰そ我に

ピストルにても撃てよかし

伊藤のごとく死にて見せなむ (『一握の砂』より)

 

この歌の次には

☆☆☆☆☆

やとばかり

桂首相に手とられし夢みて覚めぬ

秋の夜の二時     (『一握の砂』より)

 

の歌が続いている。明治42年10月、ハルピン駅で朝鮮人の革命家によって暗殺された伊藤博文のことを詠んだ歌であるが、この歌は伊藤の死を悼んだり、賞賛して詠んだものではない。

啄木は自分にも唐突に死ぬ時が来たなら、その時はジタバタせずに死ぬ覚悟はあるという、ただ、それだけの歌なのであるが、後の研究者などの中には伊藤が「日韓併合に果たした役割を批判して云々」や「被支配者ののろいを吐き出す歌」でもないとする岩城之徳氏の明解な解釈に尽きる。過ぎたる歌の深読みは研究者の出口を失うこともある。

 

しかし、啄木ならでは無く、貴方はどのように歌うべきかは考えたい事件である。明確になったオカルト教団との関わりも含めて詠むのがトップ歌人たちが担うべき「社会詠」ではないだろうか。

 

その点で高島裕、菊池裕の2氏に敬服する。2人の歌人の視点の違いなどを読むことは読者の楽しみなので私は触れない。

安部晋三元首相の死を詠んだ菊池裕氏の歌「短歌往来」2022年9月号より

安部晋三元首相の死を詠んだ高島裕氏の歌「短歌往来」2022年9月号より

安部晋三元首相の死を詠んだ歌の載った「短歌往来」2022年9月号表紙

「短歌往来」2022年9月号の特集頁