毎年、正月になると、どこかに石川啄木の年賀状や正月を詠んだ短歌が紹介される。
わがブログでも同じように「啄木の年賀状」を取り上げてみた。
最初の写真は2010年12月26日の「秋田さきがけ」に紹介された記事で啄木の最後の年賀状となったものである。
宛先人が記されてないが国際啄木学会編『石川啄木事典』で私が担当した「現存資料案内」によれば函館市立図書館の「啄木文庫」に所蔵されているこの葉書は岩崎正宛のものと推測される。
しかし従来の「啄木全集」には、この歌が「今も猶やまひ癒えずと告げてやる」と記されているが写真で見る歌は「やまひ癒えずに」となっている「に」が正しいのであるが、これは最初の「啄木全集」(大正8年~9年・第1巻~第3巻・新潮社)が発行した第3巻に載っているものであり、その後に発行された各社の「啄木全集」、「石川啄木全集」にはすべて最初の新潮社版と同じであり、実は同全集には同じ歌の記された「藤田武治」宛ての年賀状も掲載されているのであるが、私の書いた「現存資料案内」には藤田武治の年賀状を所蔵する所は記されてないのである。
新潮社版の全集の校閲は吉田孤羊が行ったものであることは知られているので、これは吉田の読み違いを少なくとも「岩崎正」宛の葉書(年賀状)に記された歌については誤記であり、その後に発行された全ての各社の啄木全集には誤記のままに踏襲されてきたのであるが、この記事が出て間もなく、釧路市在住の朋友、北畠立朴氏から「秋田さきがけ」と同じ記事が載った北海道新聞のコピーを同封した手紙が来て、この歌が全集に載っているものと違っていることを指摘した北畠氏の文章の載った地域誌「しつげん」と共に届いたのを機会に翌年の角川「短歌」4月号が啄木特集号で私は啄木略年譜を担当していたので、末尾に正しい「啄木最後の歌」を記すことができた。
しかし、藤田武治宛の年賀状にはどのように記されていたか、今は確認する術がない。