本日(2021年12月4日)の昼に新井満さんが、昨日、亡くなったというニュースを見て驚きました。
新井さんは啄木大好き人間であったことも、その著書や作品でも良く知られています。
私が新井満さんのファンになったのは昭和52年に発売された、新井さんが啄木の歌に曲を付け、五木ひろしが歌ったLPレコードを聴いた時からです。
その後に新宿の会場で「東京啄木学級」が開催された時に講師であった新井さんの話しを聴いた時に新井さんは「偽物の啄木書簡」を某古書店から買ってしまったことを、会場の受講者に額に入れた偽物の啄木書簡を見せながら話される姿を見て、私はとても親しみを感じました。
その後に縁あって、岩手県八幡平市で開催された「啄木の父・一禎和尚を偲ぶ会」や函館市で開催された国際啄木学会の大会では特別講師として講演して頂きましたが、偶然にも私は、八幡平市と函館市の講演の時に新井さんと同じホテルであったことから、朝食の場で2回とも会ったのです。
最初の八幡平市で時は勇気を出して、席が近くでもあったことから新井さんの席まで挨拶に伺ったら、とても気さくに話してくださり、所謂、有名人然りとした姿が無くて、普通の知人のように話され、「佐藤さんも啄木が好きなようですが、私も昔から啄木が好きなんですよ」と話されました。
私は新井さんが芥川賞作家であることも存じ上げていたが、1人の歌手であり、サラリーマンでもあることを知っていたので、つい、
「朝から失礼な質問ですみませんが1つだけお聞きしたのです。新井さんは、著名な作歌でもあり、歌手でもある人なのに、なぜ、今もサラリーマンも続けておられるのですか?」と口走ってしまったら、ニッコリと笑って
「カミさんが辞めさせてくれないんですよ」と仰った。
「カミさん」と多分、言ったと思うのだが、あるいはもう少し洒落た言葉であった気もする。
この時、私の隣りに同席していた友人が私のことを「勇気あるなあ」と呆れた顔で諫めるように云ったが、私は勇気など無いのです。
ただ、あの時に声を掛けていたら良かった、と後になって思うよりも、その場で恥をかいても、相手に不快な思いをさせない最大限の配慮で挑むなら許されるのではないか、ということを、若い時に読んだ歌人で民俗学者の「折口信夫・釈超空」の直弟子であった人の書いた文章の中に、ある時、折口のエピソードを知ってから、自分もなるべく折口のように生きたいと思うようにしていたのです。
折口がおる日、都電の中で偶然に柳田邦男と同じ電車の車両に向かい合わせて座った時、折口は立って柳田の前に行き、深々とお辞儀をしてから初対面の挨拶をして席に戻り、「ああ、これで安心した。この勇気がなかったら後悔する時が来るかも知れないからね」と言ったということです。柳田と折口は後に同じ民俗学者の双璧に立つ人物ですが、私は折口のこのような姿勢がその後の歌や学説にも現れているようで好きなのです。
新井さんの話題から逸れてしまいましたが、函館で開催された国際啄木学会の時も、何という偶然か朝の食堂で、またしても一緒になって挨拶を交わすことが出来たのです。
この時は前日に伺った新井さんの啄木講演を聞かせ頂いたお礼を述べるに留めたが、「先生の「お墓参りは楽しい」のご本は素晴らしいですね」と多岐にわたる有名人の墓所訪問記から得たお礼を伝えたら、新井さんは何時ものようにチョッと恥ずかしそうに「いやー、どうも」と云われた時の声が、私は今も、つい先日のことのように思いだされるのです。 合掌
(2021年12月4日 湘南啄木文庫にて記す)