本年の8月に発行された中川康子著『東京の「啄木日記」を歩く~明治を探して~』(A5判/全360頁/個人発行のため一般販売はされておりません)を読んで私は、ただ、よくぞ、これほどの本を一人で出されたと驚いた。
この思いを日頃から親しくしているÔ先生や若い啄木大好き作家のH氏に伝えたくて電話をした。お2人とも私と同感だと云われました。
とにかく、「啄木日記」の魅力の世界を、これまで他の誰もが気付かなかったという新しい方法と視点を持って幅を広げて紹介した啄木案内書に私は感動した。
私はこの感動を分かち合える人に伝えたくて上記の2人に電話をした。
読んで、その本のことを誰かに話したくなるというのは、感動させる力のある本だからなのではないかと思う。
著者の中川さんは啄木の東京に於ける日記を手掛かりにして、啄木の足跡を訪ね歩き、そして啄木と同時代に生き、その周辺に住んでいた文人たちの足跡も一緒に紹介している。
それが、何とも味わいのある、そして簡潔な文章でまとめたことに私は感動する。
例えば明治42年1月9日の日記には「森先生の会だ」と記されているのは東京・文京区の「団子坂」にある森鷗外旧居跡で開かれた、観潮楼歌会に出た時の日記であり、その日記に斎藤茂吉の名前が出ていることから茂吉が院長を勤めた青山脳病院の病院跡(赤坂青山南町)を訪ねる。更に同年1月14日には日に雑誌「スバル」の編集をめぐって啄木が心に確執を抱くことになる平野万里の妻であった「新詩社の五才媛」といわれた玉野花子の墓参に啄木は吉井勇と万里の三人で墓参りに行っているのであるが、その花子の眠る「西行寺」(駒込追分町)を紹介する。
このように啄木の日記を案内書として啄木の生きた時代の現代の姿を自ら撮った写真を豊富に使って紹介するのは著者の親切であり、日記を残してくれた啄木にむける著者の敬愛の心が伝わってくるのである。
本書はどの頁をめくっても、2,3人の啄木と同時代に生きた文学者たちに逢えるのである。啄木研究者はもちろん、本書は愛好者や啄木以外の研究者にも有難い1冊の「辞典」のような存在になるもので、公刊じゃなく、自費出版なのが残念でならない。それでもご覧になりたい方は近くの公立図書館に依頼すれば、どこかの公立図書館から借りだしてくださる方法もある。