石川啄木を世に送り出した人は誰か?と問われたら私は与謝野鉄幹・晶子だと応える時もある。
「時もある」というのは啄木の名を今日まで残した要素は無数であり、啄木自身に他ならぬからだが、啄木にとって晶子と鉄幹の名を外すことは出来ない。
先日、与謝野晶子倶楽部が発行する冊子「与謝野晶子の世界」第21号をご恵送頂いた。執筆されている方々の中には石川啄木についての論考も何編か発表されている古澤夕起子氏の研究論文【「紀州のおふかさん」つよく生きる少女】が載っていた。
古澤氏は与謝野晶子の書いた文章の中に読み取れる、世の中の不平等への静かな憤りとその熱意に共感して明治という時代に起きた「大逆事件」とは何であったのか、そてし、その秘密裏に裁かれた大審院裁判は令和という今の時代にも形を変えて起きる可能性のあることを示唆するために書かれた論文のように読み取ったのは私の深読みであろうか。
以下に古澤論考の小見出しを並べてみる。
1・晶子の見た少女たち
2・新宮の大石さんちの「おふかさん」
3・寛にとっての「大逆事件」とその後のおふかさん
この論文はB5判のコピー用紙とほぼ同じサイズの冊子である。その2p〜8pにわたって掲載されている。
大逆事件については当時の多くの文人や知識人が、其々の立場で其々のことを書いている(発禁になったものある)。
この時代に啄木も今なお、高く評価される「時代閉塞の現状」をはじめ、弁護人の一人であった平出修に見せてもらった幸徳秋水の陳述書の一部分を筆写して書き残した事や、その関連のものを啄木自身が書き残しており、それらは今日、貴重な資料として残っている(その一部が天理大学図書館に所蔵されており、私も一度だけ閲覧する機会に恵まれた)。
誤解を招く前にお断りして置くが古澤氏の論考は私が読み取ったほど声高に「大逆事件」を論じるものではない。しかし、私はじっくりともう一度、読み返したいと思っている。啄木が高く評価した与謝野晶子という人を知るためにも。
参考まで目次の頁を写真版で載せたが、その中に折口信夫の「与謝野寛論」など興味深いもがある。
以前に「折口信夫研究」第一号に歌人の岡野弘彦氏が書き写した、折口信夫(釈超空)が啄木の歌集『一握の砂』に書き込んでいたメモ書きについての特集号が出て、私は釈超空という歌人を再発見したようで嬉しいかったことを今、思い出している。