(上の写真「啄木の肖像」は平山陽氏のデッサンです)
2018.09.25 08:00
小社会 石川啄木は20代の初め、函館、札幌、小樽、釧路と…
石川啄木は20代の初め、函館、札幌、小樽、釧路と北海道を転々とし新聞社に勤めながら文学を志していた。そのころの短歌に〈霙(みぞれ)降る石狩の野の汽車に読みしツルゲエネフの物語かな〉。 車窓から見える広大な原生林。19世紀ロシアの作家、ツルゲーネフの小説を読んでロシアの大地もかくもありなんと連想したのか。困窮の中で一家離散し放浪する啄木。その暗くさみしい気持ちも、荒涼とした森の雰囲気にぴったり重なったのかもしれない。 石狩平野の多くは今、美しい田畑に生まれ変わっている。こうなるまでに入植者たちの汗と涙が、どれだけ流されたことだろう。石狩に限らない。自然と共生する人間によって、北の大地の魅力がかたちづくられてきた。 それを引き裂くのも自然の力。最大震度7の北海道地震。大規模な土砂崩れで36人が死亡した厚真(あつま)町を訪ねた。山がずり落ちて家や車をのみこんでいた。「ここにはもう住めないかもしれないな」。存続が危ぶまれる地区もある。
山裾に人家が肩を寄せ合う集落は、高知県の山間部にも多い。圧倒的な「山津波」の力を目にすると、無力感に襲われてしまう。それでも生き延びるための知恵を絞らなければならない。 厚真町の崩れた山の前には美田が広がり、実った稲穂が風に揺れていた。今は収穫どころではないだろう。けれどいつの日かまた、自然とともに生きる営みの再開を。心からそう願う。
9月25日のこよみ。