このたび青森在住の知人より「青森文学」88号が送られてきた。その中にひときわ私が関心を誘われた論考があった。
西脇巽氏の「「不愉快な事件」論争~郁雨・節子不倫論(近藤説)が根強い理由~」(32P~57P)である。西脇氏は「青森文学」87号(2021年1月)の誌上に載せた「石川啄木旅日記 札幌・函館編」の中に「不愉快な事件を巡る人人」という一章を立てて、この件のことを詳細に書かれているが、それには以下のような理由があったからであると推察する。
その理由とは2019年1月に函館から発行された同人誌「視線」9号に載った近藤典彦氏の論考「郁雨は啄木最悪の友となった――絶交とその後の真実――」という近藤氏の論考は確かに執拗とも思える、たたみ込むような筆法で郁雨の人間性をあぶりだすようなものであったから私の記憶にも鮮明である。
今回の西脇論は、そのような近藤論の視線は、どこから向けられているのかと云うところまでは踏み込んでない気もするが丁寧に「不愉快な事件」を解説している。
読者の私としては啄木の妹光子の発言を強調するに留まらず、近藤氏がなぜ、光子の言い分に頼り過ぎているのかというところまで踏み込んでほしかった。
しかし、今回の稿では啄木研究者にとっても、また、私のような読者にとっても貴重なことが多く触れられて(指摘されて)いるので興味深い。
その例の1点が「岩城之徳の実証主義」である。精神科医の権威者でもある西脇氏らしい言葉で岩城之徳氏の唱えた実証主義は《「足」と「汗」だけで書く》のでは無く、頭でも書く必要があったと力説される。
確かにその通りだが、この言葉を生前の岩城先生が直に聞かれたなら
「西脇センセ-、頭は誰にでも付いてるんですよ、ハハハ!」
と答えたのでは無いだろうか。
少なくとも晩年の岩城先生とその学問の周辺に於いて親しく話した私にはそのような印象が強く残っている。
ともあれ、今回の西脇氏の論説では多くのことを学ばせて頂いた。
特に「近藤説」を踏まえての「不可知論の克服」などは西脇氏のほかには書けないようなことが多くて興味深いものであった。
下記に各誌の奥付を掲載したので興味のある方は、ぜひ、ご一読を。