岩手県宮古市の宮古漁業協同組合の前庭に建っていた「啄木碑」には啄木の日記に記されていることから、その寄港の様子は知られている。
この碑は、啄木が北海道から船で上京する時に数時間ではあるが立ち寄ったことを記念として建立されたものであるが、昨年の暮れ近くに私の友人である平山陽氏が、仕事の途次に立ち寄ったら土台だけ残っているが、肝心の文学碑は無い、とその写真を添えて「佐藤さんは所在地など解りませんか」と連絡があり、私がメールにて石川啄木記念館に問い合わせを薦めたところ、そのような話し(東日本大震災で流失した)は聞いて無いので調べてみます、ということです、と平山氏から連絡があった。そして、数カ月経った先日、ネットで見出しだけ読める記事「宮古寄港の石碑、啄木ゆかりの地に移設 漁協敷地から七滝公園に」が毎日新聞(岩手版)の記事として載ったのである。
間もなくして石川啄木記念館の関係者から記事の切り抜きコピーを送って頂きましたが、記事になるまでの詳細も知ることが出来て私も平山氏も安堵した次第です。
仕事の途次でわずかな時間でも啄木ゆかりの地であり「文学碑」も建立されていることを知っていた平山氏の「啄木愛」が建立当時よりも、さらに啄木とのゆかりの深い地に移動されていたことを、この記事によって広く世間に広しめることが出来たことに、私は平山氏の「啄木愛」が実ったものとして喜んでいる。
岩手には先の震災で流失して、今もその姿が解らないという碑もあるが、今回は移転であったために、より良い場所に移ることができて、ひとりの啄木愛好者としても嬉しい限りであり、平山氏と一緒にこれを喜んだ次第なのでここに紹介させて頂きました!
※本稿の表題の一部と本文の一部に私の記憶違いがあったことをMさんから頂いたメールで気づきましたので、その部分を啄木忌の本日、訂正できたことはとても良かったです。なお、私の記憶違いがあった箇所をご覧になりたい方は、編集履歴をクリックしてお読みください。(表題と本文の数行を補訂いたしました。(佐藤・啄木忌に)