昨日は4月13日「啄木忌」でした!
東京・文京区小石川に啄木終焉の地の歌碑が建立されたのは7年前!
歌碑の建立には国際啄木学会東京支部会と地元の町内連合会が深く関わって実現されましたが、私は「啄木終焉の地に歌碑を」というスローガンを持って一緒に運動を続けてきた人で、今は亡きK.Iさんなどを偲びつつ、集まった仲間たちと一緒に、好天に恵まれた中で近在の啄木ゆかりの地を訪ねて歩きました。
詳しいことや写真は平山さんがすでに紹介された通りですが、明治の姿をあちらこちらに、今も見られる小石川から本郷・菊坂・真砂町なども、日々姿を変えていることに一抹の寂しさを感じました。
啄木の下宿跡で戦後、昭和28年に焼失した「蓋平館別荘」が元の姿に近い形で再建され「大栄館」として修学旅行生を主な客としてのホテルになり、つい5年ほど前までは営業しておりました。
啄木も入ったという当時の大理石の大風呂に入って悦に入っていたのです。
つまり大理石の風呂は焼けても再建後も客用に使用されていたのです。
私はその風呂に入るのが楽しみで何度か泊まったのですが、このホテルも今は見事な変貌としか言えない「億ション」になっておりました。
そして、あの大理石の風呂は何処に行ってしまったのでしょう。
幸いにも金田一京助氏が万葉仮名体で揮毫された啄木歌碑はマンション入り口の通りに面した箇所に設置されております。
この歌碑も最初はマンションの中庭に設置されるとの情報が地元の人から寄せられて、地元の町内連合会などと共に国際啄木学会東京支部会から文京区役所を通して表通りに設置してほしいとの要望を出すなどして、その結果、現在の位置に設置された経緯なども懐かしく思い出しながら眺めてまいりました。
啄木が「蓋平館別荘」に金田一氏の情けにすがって移り住む前に住んだ「赤心館」は下宿代が払えず追い出されましたが、その跡地は現在は(株)オルガノほかのビルとなっており、直ぐ隣りにあった超有名人たちが利用した「菊富士ホテル」跡は大きく変貌するための大工事中でした。
地形も大きく変わる工事の最中でしたから、ここでも一抹の寂しさを感じたりして、本郷三丁目駅にでた時に、駅前の不動産屋さんの大きさ看板を平山さんが指さしたので見上げたら思わず苦笑しながら、こういうのも、らいいね、と言ったが、やはり消えゆくものは寂しいことです。