文学講座「君星なりき ー 夫婦愛の深化」(歌人:今野寿美先生の機関限定の公開講座)
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山下多恵子著『かなしき時は君を思へり 石川啄木と五人の女性』アマゾンカスタマーレビューに書きました!
山下多恵子さんの著書には、いつも感動を頂いておりますが、昨秋に発行された本書の書評が先月「しんぶん赤旗」に載った平山陽氏の書評を読んで私もあらためて読み返して見ました。
やはり、昨秋に読んだときと同じように胸に迫るものがあって私もこの本をあらためて紹介したくなり、アマゾンカスタマーレビューに投稿しました。平山陽氏の文章も読めるように新聞の切り抜きも一緒に掲げて置きましたのでご覧頂ければ幸いです。
なお、今回の書では啄木と深く関わった「五人の女性」に限定しておられる著者の思いは啄木と共に生きた女性自身の声を聞くためであったのか、と思いたいほど、啄木と共に五人の女性の人生(生きる姿勢)を深く追求されていると思われた。
それが平山氏の言われる「寄り添う心」という意味は著者である山下さんの想いでもあったことに気づいて私は今さらに感動している。
最初の啄木研究者「吉田孤羊」を訪ねてる旅!
岩手県盛岡市の「盛岡てがみ館」で、只今、開催中(本年5月24日まで)の「吉田孤羊コレクション」展は、啄木愛好者はもちろん、啄木の研究者にとって必見のものが多いようだ(私はコロナ禍で未見)。
吉田孤羊は啄木研究の原点を知る上で貴重なものを多く遺した人物であり、合わせて様々なエピソードも残しているが、今回の展示品の中では、それらの品の一部が公開されえちるようで、展示会場を見て来た友人が受けた印象に重ねて、私が以前から知っていることを少し紹介させて頂くことにした。
これは「盛岡てがみ館」(正確には盛岡市)に、孤羊の亡き後に未亡人の道子夫人から寄贈された孤羊のコレクションであり、他にも孤羊自身が生前に岩手県立図書館や石川啄木記念館などに寄贈した品もあるが、未亡人からの寄贈品の整理をボランティアで参加していた「岩手近代文庫」を主宰し、啄木研究者でもあり、多くの著書を著して後世の研究者に残してくれた故・浦田敬三先生から私が直接聞いた話しは、寄贈の約3年ほど後のことであったが、「寄贈品は約4万点に及ぶが整理は未だ30%も進んで無い」と話されたことが今も私の記憶に深く残っている。
このような方々の盛岡市民や、その関係者によって孤羊のコレクションはこれまでにも何度か開かれてきたが、今回の展示の特徴はスキャンしたチラシの拡大でも確認できるが、啄木が通った当時の学校(渋民小や盛岡中)や、啄木が列車に乗るために利用したであろう当時の上野駅や北海道函館で散歩などして寝ころんだ大森浜の砂山の写真などとともに友人宛の手紙なども展示されているので、機会のある方にはぜひ、お運びくださいと申し上げて置きたい。
先ず、吉田孤羊は啄木研究者であり、加えて愛好者であったことから、その資料の蒐集は「啄木」という文字が入っている物なら何でも蒐集した人であったから
最初の啄木研究者「吉田孤羊」を訪ねる旅!
岩手県盛岡市の「盛岡てがみ館」で、只今、開催中(本年5月24日まで)の「吉田孤羊コレクション」展は、啄木愛好者はもちろん、啄木の研究者にとって必見のものが多いようだ(私はコロナ禍で未見)。
吉田孤羊は啄木研究の原点を知る上で貴重なものを多く遺した人物であり、合わせて様々なエピソードも残しているが、今回の展示品の中では、その人が遺した遺品の一部が公開されているようで、展示会場を見て来た友人が受けた印象に重ねて、私が以前から知っていることを少し紹介させて頂くことにした。
これは「盛岡てがみ館」(正確には盛岡市)に、孤羊の亡き後に未亡人の道子夫人から寄贈された孤羊のコレクションであり、他にも孤羊自身が生前に岩手県立図書館や石川啄木記念館などに寄贈した品もあるが、未亡人からの寄贈品の整理に、ボランティアで参加されていた「岩手近代文庫」を主宰し、啄木研究者でもあり、多くの著書を著して後世の研究者に残してくれた故・浦田敬三先生から私が直接伺った話しでは、寄贈の約3年ほど後のことであったが、その整理は「寄贈品は約4万点に及ぶが整理は未だ30%も進んで無い」と話されたことが今も私の記憶に深く残っている。
このような方々の盛岡市民や、その関係者によって孤羊のコレクションはこれまでにも何度か開かれてきたが、今回の展示の特徴はスキャンしたチラシの拡大でも確認できるが、啄木が通った当時の学校(渋民小や盛岡中)や、啄木が列車に乗るために利用したであろう当時の上野駅や北海道函館で散歩などして寝ころんだ大森浜の砂山の写真などとともに友人宛の手紙なども展示されているので、機会のある方にはぜひ、お運びくださいと申し上げて置きたい。
10年前に流失したか?と思った啄木碑の所在が確認されました!
岩手県宮古市の宮古漁業協同組合の前庭に建っていた「啄木碑」には啄木の日記に記されていることから、その寄港の様子は知られている。
この碑は、啄木が北海道から船で上京する時に数時間ではあるが立ち寄ったことを記念として建立されたものであるが、昨年の暮れ近くに私の友人である平山陽氏が、仕事の途次に立ち寄ったら土台だけ残っているが、肝心の文学碑は無い、とその写真を添えて「佐藤さんは所在地など解りませんか」と連絡があり、私がメールにて石川啄木記念館に問い合わせを薦めたところ、そのような話し(東日本大震災で流失した)は聞いて無いので調べてみます、ということです、と平山氏から連絡があった。そして、数カ月経った先日、ネットで見出しだけ読める記事「宮古寄港の石碑、啄木ゆかりの地に移設 漁協敷地から七滝公園に」が毎日新聞(岩手版)の記事として載ったのである。
間もなくして石川啄木記念館の関係者から記事の切り抜きコピーを送って頂きましたが、記事になるまでの詳細も知ることが出来て私も平山氏も安堵した次第です。
仕事の途次でわずかな時間でも啄木ゆかりの地であり「文学碑」も建立されていることを知っていた平山氏の「啄木愛」が建立当時よりも、さらに啄木とのゆかりの深い地に移動されていたことを、この記事によって広く世間に広しめることが出来たことに、私は平山氏の「啄木愛」が実ったものとして喜んでいる。
岩手には先の震災で流失して、今もその姿が解らないという碑もあるが、今回は移転であったために、より良い場所に移ることができて、ひとりの啄木愛好者としても嬉しい限りであり、平山氏と一緒にこれを喜んだ次第なのでここに紹介させて頂きました!
※本稿の表題の一部と本文の一部に私の記憶違いがあったことをMさんから頂いたメールで気づきましたので、その部分を啄木忌の本日、訂正できたことはとても良かったです。なお、私の記憶違いがあった箇所をご覧になりたい方は、編集履歴をクリックしてお読みください。(表題と本文の数行を補訂いたしました。(佐藤・啄木忌に)