湘南啄木文庫ブログ

このブログは佐藤勝が個人的に収集した歌人・石川啄木に関する「よろず」情報を紹介いたします。また、私の雑多な日常的な話題や趣味の世界(落語や演劇鑑賞、読書体験)なども記してゆきますが、いずれの部門の同好の方々からのご協力なども頂くことが出来れば有難いです。なお、石川啄木に関する文献を主にした「湘南啄木文庫」のホームページ(http://www.ne.jp/asahi/shonan/takuboku/)の方も覗いて頂ければ嬉しいです。

啄木友人から届いた2冊の著作!

啄木友人とお呼びするには、お二人とも恐れ多いお方ですが、このお二人なら、そんなこと気にしないで良いんだよと口を揃いて言ってくださるような人たちなのです。

しかし、その著作はどの1冊をとっても心打たれてしまうものばかりなのです。

ゆえに、私にとっては心して読みたいのです。その著者から二冊の本が本日、同時に頂きました!

山下多恵子編『恋する昭和 芝木好子アンソロジー』(未知谷)!

三枝昂之著『跫音を聴く 近代短歌の水脈』(六花書林)!

どちらを先に読むかは決めて無いが、どちらも読み進めたらドキドキしそうな二冊を前にして私の心は嬉しい悩みを持て余している。
なんと贅沢なことであろうと思う!


山下氏は忘れられない作家「吉野せい」の評伝『裸足の女』という名著をはじめ、ハンセン氏病歌人「明石海人」と同じくださいハンセン氏病の作家「島比呂志」の評伝『海の蠍』や多数の啄木図書の著者であり、どの本を読んでも読後の感動が長く心に響いて残る作品ばかりである。

また、三枝氏は現代歌人を代表する1人であり、歌集をはじめ、多くの著作を送り出しているが歌人でもありますが私は、その大歌人の三枝氏と国際啄木学会の場にて知り合い、その気さくなお人柄から私などにも気にかけてくださるのことに感謝の思いを抱いているが、三枝氏に接して私が感じたのは、氏は、その根本に都立の定時制高校の教師を長年勤めた経歴から培ったのであろうか「人の身分に上下無し」という思いが染み込んいるような雰囲気である。


近年は日本国天皇が主催される正月の恒例行事である歌会始めの最高位の召人を務めておられるが、この時にテレビで見る姿が、私と啄木の歌や人物について話す時に少しも変わら無いように見えることなどから、この人の書いた物には本物がある,という強い信念が私の心を占めているのです。


数年前に出た『啄木 ふるさとの空遠みかも』(本阿弥書店)や『昭和短歌の精神史』(角川書店)などは、三枝氏の人がらを見るように、何処にも公平な眼を向けて近代以降の短歌界を論じた感動の一冊でです!
私はこの書を読みながら涙が込み上げてくることを禁じ得なかったことを今も覚えている。これは文庫本になって今も手軽に読める書であるから未読の諸兄姉には、山下多恵子氏の著作と並べて三枝氏の上記の2冊もお勧めしたい。
さて、私は今夜から並読という方法で、しぼしの楽しみを堪能させて頂くことになりそうです!

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山下さんの編著(左)と三枝昻之氏の新著の表紙

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三枝昻之氏の書『跫音を聴く』の目次(「石川啄木ーー日本人の幸福」を含む)

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石川啄木ーー日本人の幸福」の最初の頁

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『跫音を聴く』の目次

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編集の山下さんが書いた「はじめに」の言葉が素晴らしい!

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「芝木好子アンソロジー」の目次

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「芝木好子アンソロジー」の「編集について」(山下多恵子さんの案内)

 

歌人・松平盟子氏が語る「啄木と晶子の関係」!

松平盟子氏が「令和3年度 啄木学級 文の京講座」(文京区)で語った講座の全て 「晶子さんは姉のような気がする~啄木日記の中の与謝野晶子~」が、只今、You Tubeで配信されております。

本年度の同区の講座の入場制限はコロナ禍の影響で極端に厳しかったので、区内在住者と在勤者に限定された他に応募者から更に50名ほどに絞られた人が受講できたとのことなので、受講できなかった人にはオススメの「啄木講座」になっている。

特に、啄木と晶子の関係を演題の副題が示すように、啄木の日記から見た晶子像と、晶子が詠んだ歌の中に現れた「啄木像」から読み解く、2人の関係は松平氏歌人としての鋭い視点があって興味の尽きない内容であり、60分たらずの講演が短く感じられました。

本講座の配信が制限付きか否かの明示は見逃したが、啄木愛好者にとっても、晶子愛好者にとっても楽しく学べる講座となっている。

講座のアドレスは下記の通りだが、検索で「ユーチューブ 啄木学級 文京区 松平盟子」と打ち込むとユーチューブに飛んでくれるので、お試しください。

ユーチューブアドレス

https://www.youtube.com/watch?v=rgreuXxL_d4

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講座ので「啄木と晶子の関係」を語る松平盟子

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松平盟子氏の講座の会場風景

 

啄木の歌が、今も若者たちの心をつかむ理由(わけ)は!

  かつて、昭和の時代に石原裕次郎が歌って大ヒットした歌謡曲に「錆びたナイフ」がある。このヒット曲の歌詞は、啄木の歌からイメージをアップデートしたものであり、さらに少し遅れて大ヒットを飛ばし続けた谷村新司の作詞作曲となる「昴」2番(2章)の歌詞は、啄木の第二歌集『悲しき玩具』の冒頭歌からそっくり移動したものであるが、谷村の天才的なアレンジによって、この曲も見ごとにアップデートされたのである。

 下記の写真は、河北新報記事に載った「啄木と歌謡曲」についての幾篇かの論文も書いておられる国際啄木学会の現・会長である池田功氏(明治大学教授・文学博士)が、「啄木とZARD坂井泉水のことば」と題して講演されたことを伝えた記事の一部であるが「啄木の歌と歌謡曲」の関連性については、かなり以前から研究者も注目してきたことである。

 21世紀もすでに20年以上、20世紀の初頭に出た啄木歌集が、その没後120年近くなっても色褪せることなく若い人々に読み継がれ、歌われ継がれていっることの意味は、どこにあるか、池田氏は現代の啄木研究者を代表する1人として、どのように語られたのか、コロナ禍でなければ拝聴したいものであったが、叶わず、記事を頼りに私は、しばし、啄木の歌と歌謡曲との関連性を思い、「啄木の歌は日本人の心の付箋のようなもの」と語られた作家、井上ひさし氏の言葉を思い浮かべた。

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写真は「河北新報」のネット記事の一部

 

2人の歌人が連載中の注目の啄木論2点!

松平盟子氏の「与謝野鉄幹と啄木の明治40年代」(26回・113号)は松平氏が主宰の歌誌「プチ★モンド」(季刊)に6年前からの連載である。

松平氏の連載に遅れること3年前から総合短歌誌「短歌」(角川)に連載が開始されたのは松村正直氏の「啄木ごっこ」(32回・2021年6月号)である。

松平氏が論じる啄木は与謝野鉄幹と共に明治という時代の中の啄木である、松村氏の論じる啄木論は、啄木の歌とその軌跡を追う旅を軸にして啄木の生涯をたどる記録と、互いにいまのところ論点の重なることはないが、奇しくも論者が当代歌壇の第一線で活躍する歌人であり、その本職(?)である歌も常に注目度の高い作品を生み出し続けている2人なので目が離せないものだが、論者の2人が互いの論を意識していることは伺われないが、圧倒的に松平氏の論稿は長大であり、論じる視点も壮大である。

この点では松平氏の方に軍配があがると思うのだが、松村氏の啄木論は自分の足で歩いて書いている(各地の啄木関係写真の自撮りなど)ことから現代の啄木を共有するリアル感もあり、歌の解釈にも松村氏の個性もチラリと覗かせるなど心憎い演出もある。

しかし、松平氏の「明治40年代」を俯瞰的に見る視野の広さを思うと、こんな時代の中に啄木は悶え、苦悩しつつ、その身が滅びるまで闘っていたのか、と胸に迫ってくるものがある。

とにかく、注目の2つの啄木論が、それぞれの1本となって登場する日が待たれる昨今である。

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松平盟子氏の論考掲載誌「プチ★モンド」(113号表紙)

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松平盟子氏の論考(26回)

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松村氏の「啄木ごっこ」連載第1回の冒頭

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村松氏の論考第1回を掲載した「短歌」(2018年11月号表紙のコピー)

 

6月20日発行の合同歌集『新弦』の書名には啄木と深いつながりがあります!

湘南啄木短歌会では発会20周年を記念して『新弦』(にいゆずる)を発行しました!

昨日、歌集が届きまして一部の会員には本日お届け致しました。

その出来栄えの良さは内容までも立派に思わせますから発行人代表となった私も驚きです。

この装丁を担当してくれたのが本会の通信会員でもある平山陽さんです!

本会は地域の高齢者が多いのですが、遠くは長野県や山梨県からの参加者もおります。

また、通信会員には札幌市から長崎市の人まで幅広い地域にわたっておりますが、今回の参加者の多くは神奈川県内に住む人たちです。コロナ禍により休会を強いられている人(特に高齢者)たちに心の喜びを感じて頂くために若い人が尽力されて発行に至りました。

会員の年齢にも幅があって30代から90代までの方がおります。毎月の例会には遠方から参加される人も含めて12.3人ですが、昨年の4月から休会しておりまして、今回の記念誌の発行を喜ぶ会員の思いはひとしおです。

特に文字の大きさは高齢者の方々にとても大変喜ばれました。

(「湘南啄木短歌会」代表・佐藤 勝)

ご希望の方「湘南啄木文庫」のホームページよりメールにてお申し込みください。

なお、「石川啄木愛好会」の会員の方はご自分の「友達」を通じてお申し込みください。先着順に進呈致します。

歌集名の『新弦』は啄木と意外にも深いつながりがある文字です。

その深いつながりの話しは『新弦』をご覧になってのお楽しみにしましょう!

 

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合同歌集『新弦』表紙

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発行日を前にして届いた合同歌集『新弦』




コロナ禍に問われる「人間のその最大のかなしみ」とは? ある歌人の書いた啄木論に読む!

今、私たちは人類史上例を見ないほどの規模で命の危機にさらされてをり、その対処の方法も迫られている。そんな時に私は古い啄木文献を整理していて偶然にも啄木が最後に詠んだとされる2首の歌について書かれた小論を目にした。

小論は1993年8月号の「短歌研究」の中に歌人の加藤孝男氏が書いた「石川啄木――人間の最大のかなしみ」という2頁ほどの啄木の最後の歌について書いたものである。

死期を迎えた病床の中で啄木が最後に(おそらくは)書き残した2首の歌を記した歌稿が日本近代文学館に現存するが、この歌は谷村新司の作詞・作曲で大ヒットした歌謡曲「昴」の2節目の冒頭の歌詞に歌謡詩として姿を変えて登場していることは広く知られているが、啄木がこの歌を作った時、それはどのような状況の中で詠まれたものか、加藤氏が詳細に推察しているので、ここに詳しいことは述べ無い。ご覧になりたい方は写真版からお読みください。

啄木の最後の歌から見えて来るもの、その思いは今のコロナ禍に置かれている私たちの状況にも似ているような気もする。だから私には「啄木は生きるために何を必要とした」であろうかが気になる。

啄木は命を守るために、あの明治という脆弱な、そして制限された政治下の社会の中で、貧しさと闘い最大の努力をしていたのである。

私はそこに今さらに感動している。

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「短歌研究」1993年8月号表紙

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加藤孝男氏の論考=1

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加藤孝男氏の論考=2

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啄木が最後に詠んだとされる歌の原稿コピー(現物は日本近代文学館が所蔵)






歌人・山田航氏が歌で記す新しきスタイルの「啄木伝」に挑戦!

歌人の山田航氏が雑誌「港の人」11号(神奈川県鎌倉市・港の人 発行所)に、啄木の歌を示しながら書き進めるという新しい試みの「啄木伝」(その1)を発表した。

このような試みは稀であるが、かつて寺山修司が少し似たようなことを試みたことのあることを記憶している。

これまでにも「啄木伝」は多くの人によって、評伝、伝記、小説、戯曲、映画、テレビドラマ、ラジオドラマなどに記され、伝えられてきた。

近年では歌人三枝昂之氏の著書『啄木 ふるさとの空遠みかも』(本阿弥書店)は、啄木の歌を追いながら、その歌と時代と人を論じた稀なる名著と私は思っているが、この3年ほど前から同じく歌人の松村正直氏が雑誌「短歌」に5月現在で31回の連載の作品もあり、これは啄木の生涯を丁寧にたどりながら松村氏独自の手法で啄木が生まれ育った環境と歌の生まれた土壌の根源を探り出そうとされている連載中の労作である。

さて、「港の人」11号に掲載された山田氏の歌で綴る「啄木伝」とでもいうべき手法には歌人らしい手法もみられて今後の連載が楽しみである。山田氏は既刊の歌集『水に沈む羊』(港の人・2,016年発行)に「啄木遠景」という5頁にわたる長歌も収めており、ほかにも雑誌や新聞などに啄木に関する文章を幾篇か発表されてきたと管見ながら記憶しているので、今回はそれらの経験を踏まえたものになるものと期待している。

第一回目を読んだ限りでは新しい「啄木伝」であると私は確信したので、先ずは拍手を贈りたい。

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山田航氏の「啄木伝」が掲載された雑誌「港の人」11号表紙
 

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11頁にわたる「啄木伝」の1,2頁

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山田航歌集『水に沈む羊』表紙

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歌集『水に沈む羊』の「啄木遠景」5頁の最初の頁

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雑誌「港の人」奥付