湘南啄木文庫ブログ

このブログは佐藤勝が個人的に収集した歌人・石川啄木に関する「よろず」情報を紹介いたします。また、私の雑多な日常的な話題や趣味の世界(落語や演劇鑑賞、読書体験)なども記してゆきますが、いずれの部門の同好の方々からのご協力なども頂くことが出来れば有難いです。なお、石川啄木に関する文献を主にした「湘南啄木文庫」のホームページ(http://www.ne.jp/asahi/shonan/takuboku/)の方も覗いて頂ければ嬉しいです。

「民主文学」の6、7月号に載った碓田のぼる先生(93才)の「啄木論」に感激!

「民主文学」の6、7月号に載った碓田のぼる先生の論稿に驚きました。碓田先生は現在、93才7カ月です。その先生が、前後篇を合わせて33頁にわたる論稿を発表されているのです。以前の稿に訂正を加えた評論ですが、この熱意には驚きの他に言葉がありません。

碓田先生には一昨年の「啄木祭」の会場(東京都しごとセンター)でお会いした時も、お元気で、その秘訣をお訪ねしたら、「自分の信念とするものがある限り、元気でいたいですね」と先生らしいシンプルながら含蓄のある言葉が返ってきました。

碓田先生は、誰もが幸せと感じられる世の中の来ることが理想的な社会なのだと思っておられる方ですから、平素から人に対する接し方の姿にも「公平」を感じさせられましたが、この論稿を読みながら、あらためて碓田のぼる先生の人がらの大きさを感じました。

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碓田のぼる先生の論稿が掲載された「民主文学」2020年6、7月号表紙

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碓田のぼる(評論)「啄木詩『老将軍』考――越境するナショナリズム――」前編の冒頭部分

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碓田のぼる(評論)「啄木詩『老将軍』考――越境するナショナリズム――」後編の冒頭部分

 

アニメ「啄木鳥探偵處」は放送終了後も大人気!

BSフジテレビ系列で4月から13回放映されたテレビアニメ「啄木鳥探偵處」(伊井圭原作・創元社文庫)は、放映終了後も各地で、アニメ展などが開かれるなど、話題を提供しているが、アニメ化された啄木とその仲間たち(金田一京助吉井勇若山牧水、などなど)も含めてグッツ品なども製作されて若い女子を中心に人気は高まる一方のようである。

本作品は、創元社文庫の新人発掘を目的とした探偵小説部門の受賞作品でもあったが、原作者の伊井氏は啄木大好き人間でもあった。私が受賞後に頂いた単行本には、伊井氏の当時の喜びを綴った手紙が挟んである。

そして数年後に文庫本の発行と同時頃に舞台化の話しもあって伊井氏と一緒に喜び、実現を待ったが、舞台の企画は実現しなかった。そして伊井氏は無念にも病魔に斃れて、若くして逝ってしまった。

今、各地の文学館などでアニメ「啄木鳥探偵處」展が開催されていることを天国の伊井氏はきっと、たくさん、たくさん喜んでいると思う。切ないけれど、私はそのように思っている。

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アニメ「啄木鳥探偵處」の表紙

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アニメ「啄木鳥探偵處」のオープニングエラスト

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探偵を副業とする啄木として活躍するアニメの1コマ

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アニメ「啄木鳥探偵處」の広告チラシ(1)

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アニメの中の啄木と金田一京助

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アニメ化によって発売された啄木グッツの1つである歌入りノートセット

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高知新聞に紹介された吉井勇記念会館での「啄木鳥探偵處」展の記事(1)

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高知新聞に紹介された吉井勇記念会館での「啄木鳥探偵處」展の記事(2)

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高知新聞に紹介された吉井勇記念会館での「啄木鳥探偵處」展の記事(3)

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アニメ化の啄木に乗って発売された啄木グッズ(ハンカチ)

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『啄木鳥探偵處』の単行本の初版(湘南啄木文庫所蔵)

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岩手で売り出された啄木お菓子(昔懐かしい味がしました)

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吉井勇記念館のアニメ「啄木鳥探偵處展」を報じた高知新聞(記事)

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コロナ禍で幻の企画となった「2020 啄木祭」(盛岡市 渋民の石川啄木記念館行事のチラシ)

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アニメで啄木の声を演じた盛岡市出身の浅沼晋太郎さんは啄木らしい声を上手に出しておられました。

 

韓国から海外で初の石川啄木の処女詩集『あこがれ』完訳本が発行!

このたび、韓国から嚴仁卿訳著『あこがれ』(日韓対訳)が完全翻訳版として発行されました。著者の嚴仁卿氏は2年前から『一握の砂』、『悲しき玩具』と完全版を刊行しておりますが、冷え切っている現在の日韓外交は双方国の政治家と外交官の稚拙さを露呈するものにほかならないが、百年前に日本の政治家伊藤博文によって韓国(当時の朝鮮国)が事実上日本の支配下に置かれるという悲劇の発端となった日韓併合の条約が発布された時に、若干23才の青年であった石川啄木は、他の誰よりも早く、朝鮮国の人たちの立場に立って詠んだ下記の1首の歌は有名でるある。

 

  地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風ぞ聴く

 

これは自分の国を失ってしまった国民(朝鮮)の立場に立った深い同情と哀しみの思いを込めた歌であるが、今日の日本の政治家や外交官たちは、果たして相手の国の立場に立って外交を進めているのであろうか。

また、韓国側の政治家たちも自分たちの政治は何所かで誤ってしまったのではないかと考えながら謙虚に外交に努めているのであろうか。居丈高な言葉を浴びせるだけが外交なのか?。そこが私には解からないが、人の心に寄り添う啄木の歌を彼らにも読む機会があれば、この難局も打開できるかも知れない。と願いながら嚴仁卿氏の3冊の啄木著書の刊行を喜びたい。

オム・インギョン緒『あこがれ』(韓国・日本対訳版)

オム・インギョン訳『一握の砂』(韓国・日本語対訳版)

オム・インギョン訳『悲しき玩具』(韓国・日本語対訳版)





 

「啄木と仏教」、その影響を考える記事を紹介します!

今から8年前の「仏教タイムス」に【没後百年石川啄木】〈父(一禎)の住職は結婚第一世・大逆事件への関心が〉という見出しの記事が載りました。この記事には詩人で文芸評論家の岡本勝人氏が解説を寄せている。

啄木は幼児期から仏教的な雰囲気の中で育ち、やがて天与の才能を持って世に出る途中にして病魔と貧困の中で26才という短い生涯を閉じたが、没後百年以上の時間を経てなお、新しい感覚の詩人であり、思想家であったと認められ、その作品(特に短歌)は多くの人の心に寄り添う秀歌として愛誦されておりますが、コロナか禍の今だから、啄木の歌を読み、その歌から、自分の心の中にある、喜び、憤り、哀しみ、そして、楽しみを共に味わって見たいと思うので、湘南啄木文庫の資料から少し古い資料を紹介した次第です。

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2012年4月19日号の仏教タイムスの記事(啄木と父一禎の写真は湘南啄木文庫の所蔵するアルバムからの引用です。)

 

朝日新聞に載った【啄木短歌の記載違い】~平田オリザ氏のエッセイから~

 以前に友人から送って頂いた啄木資料の中に平田オリザ氏が朝日新聞(読書欄)に連載されている「古典百名山」というコラムがある。

 その77回目に石川啄木の『一握の砂』を取り上げていたのであるが、その時にすぐ紹介しようと思いながら、コロナか禍の中に自分の心も、新聞の切り抜きも紛れ込んでしまっていたら、つい先日、別の遠方の友人から、同じ記事のコピーを頂いて、気になっていたので、此処に紹介するものであるが、当時の私には平田氏のエッセイに何か書き足して置きたい気持ちがあったので、今回その気になったことを記して置くことにした。

 4ヵ月前の私が気になったのは、平田氏の「古典百名山」という中にあることであり、氏が紹介した記述に違和感を憶えたからである。

先ず、「古典」とひと括りにするには、啄木の歌はあまりにも現代的なのであり、以前に啄木の歌を口語訳したヘンな人も居たが、これはいずれも間抜けた歌に改悪された例として哄笑を免れないものであるが、平田氏の場合も軽い気分で読むエッセイであることを思えば、目くじらをたてるほどの文章では無いが、天下の朝日新聞に書いたものであれば、読者が誤って認識しかねないので、一言触れて置きたいと思うのである。

 平田氏は、「啄木は近代短歌の完成者として後世に名を残す。」人であるが、彼が生前に残した唯一の歌集『一握の砂』の中に「収録されていない」歌と前置きして、次の一首を記している。

 

地図の上朝鮮国にくろぐろと

墨をぬりつゝ

秋風ぞ聴く

 

 この歌は1910年(明治4310月1日発行の雑誌「創作」10月短歌号に一行書きで発表されたものである。三行書きで発表したのは歌集『一握の砂』に掲載された歌であり、この歌が雑誌に載った時は一行書きであった。これは平田氏が読者へのサービス心で、歌集にある他の歌と同じように三行書きに「書き改めた」ものであると思うが、それが余分なことなのである。

 このような改悪を天下の朝日新聞に載せるならば、何故、啄木はこの歌を歌集に収録しなかったのか、ということについて触れた方が読者サービスになったと私は思う。紙幅の都合なら、三行歌になど改作せずに、一行で載せ、せめて「時の強権政治が言論の統制を強化していた」ことに一言でも触れて欲しかったと思う。特に今のコロナか禍の中に紛れて憲法改正などと言い出す輩もいる昨今の政府関係者の動向をみるなら、啄木が100年前に恐れた強権政治を喚起させることを示唆してこその読者サービスだと思うからである。

 また、平田氏が改作した三行の分ち書きも、歌集にある他の歌と比較して推測するなら、「地図上」で一行目として、二行目を「朝鮮国にくろぐろと」にして、三行目を「墨をぬりつゝ秋風ぞ聴く」とする方が、啄木の気持ちが伝わると思うが、これは私の推測であるから、とにかく紹介は「正確に」して欲しいと思ったのである。

             (2020年8月24日記)

 

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平田オリザ氏のエッセイ 2020年4月18日(土)朝日新聞(読書欄)

 

 

「啄木学級 故郷講座」今年も開催されます!

盛岡市渋民にある石川啄木記念館にて毎年、開催されている「啄木学級 故郷講座」が本年も開催る予定とのチラシを頂きましたので紹介します。

詳しいことは石川啄木記念館に直接お問い合わせください。

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啄木学級故郷講座ー1(表面)

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啄木学級故郷講座ー2(裏面)

 

「啄木」を求めて歩んだ60年!「北海道新聞」の記事に誘発されて」 (佐藤勝)

 

本日、北海道新聞(2020年8月13日・夕刊・記事)が石川啄木を通じて知り合った親友の1人である釧路市在住の北畠立朴氏から送られてきた。

その1面に啄木と釧路との関りが詳しく紹介された記事であり、取材に協力した北畠立朴氏の写真も載っている。北海道新聞には、つい先ごろ(6月6日~6月23日)も13回にわたって「私の中の歴史」で北畠氏を取り上げて「釧路の76日間を追う」と題して郷土の啄木研究の第一人者として紹介している。北畠氏の記事を読みながら、あの人にも自分と同じような人生があったことを再確認した。北畠氏との厚誼は40年の時間を裕に超えているのだが、あらたに知ることもあってこの連載記事は嬉しかった。

 私には全国各地に啄木を通じて知り合った友人が多くいる。また、居られた、と記すべき物故者となった友人、知人は数えるに枚挙も無いが、私が啄木に関する文献を集め始めて60年の月日が流れたと記せば納得頂けると思う。最初は雑誌に載った「啄木関係の文章」と思っていたのだが、いつの間にか雑誌から新聞に載ったエッセイや記事まで集めるようになった。

  文献収集の始まりは1冊の「啄木歌集」(角川文庫)を中学2年生(14才)の時に担任の先生から頂いたことが発端であった。

 それは何故はじまったかと言うと、当時の自分が置かれた理不尽な境遇と啄木の幾つもの歌が重なったのである。そしてその歌に慰めを受け、励ましを受けたことがはじまりであった。その慰めや励ましは私の心の中で愛着となり、他の啄木の文庫本も読みたい気持ちになり、次は単行本に、そして分野を問わずに雑誌や新聞に載った啄木に関する物なら何でも読み漁っていたのであるが、それらをすべて理解できたかと問うのは野暮なことだと言いたい。

  16、7才の少年にとって自分に寄り添ってくれる啄木の歌が、書簡が、日記が、親友であり、先生であったからなのである。これには生後6日目にして親から離れて育つことになった私の個人的な生育事情も絡まっているのかも知れない。

  そして、いつの間にか全国各地で開催される啄木展や啄木演劇の記事からチラシまで収集していた。地方(多くは岩手県)に出かけた時は啄木の名の付いたお土産まで気になって買い込んでいた。まるで吉田孤羊という最初の啄木研究者の足跡を踏襲しているようだが、彼と私の違いは大きい。吉田は啄木の遺作を世に出したい、という強い信念に基づいて全国各地に啄木を訪ね歩いていたが、私は自分の心を満たすために啄木に関する文献を収集していたのである(吉田孤羊は絵葉書は勿論、マッチのラベルまで収集していたことが後に盛岡市の「もりおか手紙館」に寄贈された遺品から解った)。

  しかし、年齢と共に私の心境にも変化が生じて、自分の持っている啄木に関する文献を同好の人々にも知らせてあげたなら、自分と同じように情報を受け取った人も啄木によって、慰めや癒しの思いを受けて、その人の人生も「新しき明日」に向かって行くのではないと思えたので「啄木文献所蔵目録」として1冊の小冊子(A5判・50頁)の私家版を発行(1982年6月)したことであった。

  この冊子が私と啄木をさらに深く結びつけて行くものとなることなど当時の私は想像もしないことであったが、これが私の人生を楽しいものにしてくれる始りでしたが、当時はネットなどの無い時代ですから図書館職員や大学の研究者でもない個人が集めるには限度がありましたが、往復ハガキを使っての文献探索はどれほど多く書きまくっていたことか、今もその頃の自分を愛おしくなるほど、利益につながらないことに夢中になれたのです。

  夢中になれるものがあったことを私は自分の人生の最大の宝であったと思います。その後に発行した『資料 石川啄木~啄木の歌と我が歌と~』(武蔵野書房)/『石川啄木文献書誌集大成』(武蔵野書房・1999年※本書により翌年度の岩手日報文学賞「啄木賞」と雄松堂の「ゲスナー賞」(銀賞)を受賞した)/『啄木の肖像』(武蔵野書房・2002年)/『続・石川啄木文献書誌集大成』(桜出版・2018年)などが私の主な単独書だが、『石川啄木事典』(おうふう・2001年)や昨年の夏に発行して好評を頂いている大室精一・平山陽の両氏との共著『クイズで楽しむ啄木101』(桜出版)などは共著に名を連ねているにも誇らしい思いに満たされる著作であり、私の歓びとなっている。

  2冊の正続の大著となった文献目録には3万2千点余の詳細な啄木文献を紹介してあるが、意外な人が啄木についての文章を残しておられることが、この2冊の「目録」によって知ること等も「目録」を楽しく開いて頂くことにつながるものと思う。

  最近、戦死した叔父の日記を物置にしていた部屋で探していたら、拙著の旧版(正版?)が10冊出版社から送られて来たままの姿で見つかった。中には手元に1冊しか無くて、アマゾンの古書で見つけて買って使用していた自著『啄木の肖像』も10冊、同じように出版社の包みのままで見つかった。思いがけない掘り出し物に出会えた時のように嬉しくなった。

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2002年3月刊行:武蔵野書房

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北海道新聞(記事2020年8月13日 夕刊の啄木関係記事 1面に掲載)

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1999年11月:武蔵野書房刊行

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2018年12月:桜出版刊行(予約者には湘南啄木文庫特製の正続2冊分のCDを付けた)

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1992年3月:武蔵野書房刊行

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私家版「石川啄木関係文献資料蔵書目録」の裏表紙面


月15日発行:私家版「石川啄木関係文献資料蔵書目録」