湘南啄木文庫ブログ

このブログは佐藤勝が個人的に収集した歌人・石川啄木に関する「よろず」情報を紹介いたします。また、私の雑多な日常的な話題や趣味の世界(落語や演劇鑑賞、読書体験)なども記してゆきますが、いずれの部門の同好の方々からのご協力なども頂くことが出来れば有難いです。なお、石川啄木に関する文献を主にした「湘南啄木文庫」のホームページ(http://www.ne.jp/asahi/shonan/takuboku/)の方も覗いて頂ければ嬉しいです。

全国各地で啄木祭や啄木学級が、8月現在で8回も開かれていた!

石川啄木記念館主催の「啄木祭」/開催日・期間:平成30年6月9日(土)/時間:13:30開演 (13:00開場)/場所:姫神ホール(盛岡市渋民文化会館)/講師:ロジャー・パルバース氏(作家・劇作家・演出家)ですが、他に国際啄木学会盛岡支部会主催の「啄木忌前夜祭」(盛岡市おでって小ホール:4月12日)/盛岡市&東京・文京区主催の「啄木学級 文の京講座」(日時:平成30年7月6日(金曜日)14時開演(13時開場)/場所:文京シビックホール小ホール/対象:文京区在住・在勤・在学者/定員:180名(区民枠・抽選)/主催:文京区・盛岡市・(公財)盛岡観光コンベンション協会
/共催:盛岡デー実行委員会・(公財)盛岡市文化振興事業団・石川啄木記念館受講料:無料)/
講演「日本文学における啄木」:平野啓一郎氏(小説家)/
講師平野啓一郎氏写真

撮影:瀧本幹也

対談「心をつかむ啄木の表現」

平野啓一郎氏(小説家)、森義真氏(石川啄木記念館館長)/文京区シビックセンター)以上のほかに、短歌雑誌「新日本歌人」9月号に載った紹介欄には伝国各地で5回の「啄木祭」の集いが開かれて居ることが解る。啄木忌や啄木祭が開かれる意図は主催者によって異なるが共通していることは「啄木作品を新しい目で読み返そう」ということがモチーフになっていることである。新しい啄木を貴方は何所に見つけますか?。

そして、啄木の集いはまだ続きます!

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エッセー「はじめの1首」は啄木の歌だった・西澤 康子

月刊短歌雑誌「りとむ」9月号(通巻158号)に西澤康子氏が小学4年生の時に出会った啄木短歌との思い出を心温まる短文として綴ったエッセーが冒頭の短歌雑誌「りとむ」に載ったものです。

著者に無断で恐縮ですが、啄木文庫ブログ版の読者限定でのせました。読者である貴方の啄木短歌との最初の出会いは何所だったのでしょうか?

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好評だった劇団コルバタ上演の「飛行機の高く飛べるを.」を観劇して

 24日(金)から開幕した、平山 陽(脚本)劇団コルバタ「飛行機の高く飛べるを.」を一昨日、二十数人の仲間と見に行った。

先ず、第一の感動は通し稽古を見た時の想像を遥かに超える舞台になっていたことでした。
そして、最初の驚きは、シンプルな舞台装置が、役者さんたちの動きを軽やかに、そして、活き活きと見せる効果を発揮していることでした。
物語は、明治の詩人で若くして亡くなった石川啄木の終演の地に、啄木の歌碑を建立しようと立ち上がった啄木ファンの女子会メンバーと、地元の住民たちが力を合わせて、当初は渋っていた役所の担当者や上層部をも巻き込んで、全国的にも珍しい啄木の直筆原稿用紙を拡大した陶器を啄木の故郷から取り寄せた「姫神小桜石」という自然石を使った碑に嵌めこむという歌碑、これもまた、全国的に珍しい手法で造られた歌碑で、建立されるまでのエピソードを書いたものだが、どちらかと言えば地味な内容だ。
しかし心の温まる話しであり、これを150分の1幕舞台にしたことに、私は心の底から、ゆっくりとだったが感動する自分に戸惑ってしまった。
悪役が1人も登場しない舞台は、話しのつなぎも難しいかと思うが、脚本を読み込んだ選出家(ささおか みゆき)の裁量にも拍手をしたい、という思いが帰宅した後までも続いたことも記して置く。
さらに、音響の効果も素晴らしい。開幕の軽快で軽やかで強烈にビートの効いた音響が突然止むと(病人らしき)主人公の低めの台詞が不思議と耳に入り易いのだということを実感した。
また、照明の使い方が抜群に効果的だったことも記して置きたい。
小劇場の小さな黒一色の舞台を今回の照明は、光と影の交差する空間を使って、奥行きのある舞台に見せていた。
以上が、素人の私が見た舞台の感想だが、役者さんについての1人1人のコメントは避けるが、それぞれの個性をうまく活かしているな~と感心するばかりで、この感想は「演出家は凄い」、の一言と重なる。
舞台上の役者さんたちが、伸び伸びとして見えたのは、あながち演技上手だけではあるまい、と思うほど、それぞれが自分の役どころを捉えての演技に感動した。
ーーーー
追伸ーーーーー

本日(8月

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27日)、知友のT君から嬉しいメールを頂いたので一部分をコピーして貼り付けておきます。(佐藤勝)

(略)

劇団の皆様は、お若い方が多く、苦労も多いこととは思いますが、
先の長さがうらやましく感じられました。

石川啄木終焉の地歌碑をグーグルマップで調べたら、石川啄木
彰室も隣にあることが分かりました。皆様のご尽力の賜が実物と
して残ることは尊いことです。皆様の生きた証ですね。
歌碑にある白鳥 の歌二首に込められた願いがわかり、生きたいと
いう心の叫びは同じでも、表現は人によって違うと感じました。
私もウォークやジョグをしながら出会う人や鳥、動物、風のそよぎ、
空の雲などに二度と無い一瞬一瞬を感じ、生きたいという願望の
強さを感じます。
今回は良い観劇の機会を頂きまして、生きる喜びに触れる機会と

なりましたことに心から感謝をしております。
また、機会があったら声をかけていただけるとありがたいです。

(略)

社会福祉法人風土記<39>岩手愛児会 上 まれな医療系児童養護施設

【福祉新聞】(WEB)

ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな(『一握の砂』)

 歌人石川啄木(1886~1912)が故郷の岩手県渋民村(現・盛岡市)で眺めた南部富士の岩手山それに姫神山を詠んだといわれる。盛岡市上田松屋敷にある社会福祉法人「岩手愛児会」(藤澤昇会長)からも、二つの頂を望むことができる。全国的に珍しい医療系の養護施設だ。

 

 児童養護施設「みちのく・みどり学園」(西山秀則園長、定員63人)と「もりおかこども病院」(米沢俊一院長、64床)は2階建ての同じ屋根の下にある。廊下伝いにほぼ自由に往来でき、療養棟の病室然とした4~8人部屋を出たら病院というイメージに近いだろうか。ここまで〝合体〟した施設は確かにザラにはない。

 

 目の前に児童心理治療施設「ことりさわ学園」(田中仁園長、定員50人)もある。また、法人敷地に隣接する県立盛岡青松支援学校へ愛児会の小中高校生は歩いて通う。

 

 日本中が食べるものとて十分にない戦後しばらく、岩手の暮らしは特に苦しかった。全国一高い乳児死亡率、全国2番目に多い長期欠席児童・生徒、その半分以上の800人は結核だったという。貧しい生活を子どもたちの労働が支え、結核病児は学校で毛嫌いされていた。

 

 「病を治しながら学び、育てる施設はできないだろうか」

 

 そう考えた一人に、岩手県社会福祉協議会の見坊和雄事務局長(1919~2012)=同県共同募金会理事=がいた。原敬・元総理(1856~1921)は縁戚にあたる。旧・米沢高工(現・山形大工学部)を卒業、陸軍航空隊に召集され、南方戦線でイギリス軍の捕虜になっている。部下らの願いを受け一足先に盛岡へ戻り、同胞の早期引き揚げに尽くした。

 

 県社協の事務局長を10年ほどし全国社会福祉協議会(東京)へ移った。そこでも事務局長、さらに退職後は福祉新聞(東京)の社長などを歴任するのだが、「兵隊に夫をとられた農村の留守家族の苦しい実態に胸を打たれた」(『見坊和雄と岩手の社会福祉岩手県立大社会福祉学部研究会、2014年)と当時を振り返っている。引揚促進運動は人生を社会福祉にささげるきっかけでもあった。

 

 医療と教育、さらに福祉(暮らし)の三つをカバーするアイデアは、児童福祉法の枠をはみ出している。しかし、三位一体の「療育」(学校兼病院)プランの評価は高かった。「計画は20年早い」「法律がなければ、書けばよい」。賛否の分かれる霞が関や国会を、見坊事務局長は岩手から足しげく回った。

 

 県のほか、全社協も予算確保の重点項目として支援。大蔵省主計官だった鳩山威一郎・元外相(1918~93)は「結核性虚弱児加算」をいわば〝特例〟として承認している。財団法人「岩手愛児会」は1956(昭和31)年に誕生、翌年には岩手大の学生やアメリカ人のボランティアも建設作業に加わり、虚弱児施設「みちのく・みどり学園」が盛岡市緑が丘に完成する。原資はお年玉付き年賀はがきの寄付金4472万円であった。

 

朝潮関がみちのく・みどり学園を訪問(1958年)

 

 「僕は小学三年から結核で学校を休んでおります。中学三年の兄も今は良くなりましたが、軽い結核で学校を休んでおります。父が結核療養学級に入学をたのみましたが満員でことわられ…途方にくれていました」

 

 手紙を送ってきた中1男児は開園と同時に入った。市立小・中学校の分校を併設する学園は、気兼ねせず過ごす安心の港になっていく。

 

 そのころ世間は西日本を中心に1955年夏発覚した森永ヒ素ミルク中毒事件で騒然としていた。約130人の赤ちゃんが亡くなっている。

 

 「年賀はがきの寄付は1枚1円。つまり4472万人の善意の詰まった〝民衆立の施設〟です」。第10代理事長にあたる藤澤会長(71)はいまなお感謝の気持ちを忘れない。「緑が丘地区は上田松屋敷地区(1977年移転)より約5キロ南で、豚小屋が多く、行政地名さえなかった。園の名を取って地名にした」と教えてくれた。

 

  地元医師会の協力を得て1961年秋、医療施設「みちのく・みどり学園療養所」も開設。皮肉にも結核はこのころ下火に向かい、ぜん息、ネフローゼ症候群、腎炎、血友病など難治性の慢性疾患が増えていく。食生活の向上や医学の進歩だ。なんとか再建をと、同じ盛岡市にある岩手医大小児科医局から石川敬治郎医師(1932~2005)を第3代の園長に迎えたのは1967(昭和42)年であった。

 

横田一

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河﨑洋充 詩集『菜の花の駅』を読む  (2018年8月)

  河﨑さん、とうとうすごい本をだしましたね。私は昨夜からずっと興奮してます。

河﨑さんは、健在だったのだとわかっただけでも嬉しいのに、こんな美しい詩を今も書いていたなんて本当に嬉しいです。そして、自分を涙もろくなったのか?と疑ってしまうほど、昨夜からず~っと感動しております。

  河﨑さんが私の職場の寮へ(神奈川県相模原市)ひょっこり訪ねて来たのは何時のことであったろうか。あのころも河﨑さんは関西に住んでいる詩人であった。その詩を読みながら、どんな人が書いているのだろうかと思ったことが何度もあった。

 で、私は近代の詩人、八木重吉を思い浮かべた。純粋無垢な詩人の面影と河﨑洋光という詩人の面影がかさなった。

  その作品世界は切ないほどに美しくて、優しい。いや、切ないのでは無くて、かなしいほどに美しいと言うべきかも知れない。

 とにかく、河﨑さんが紡ぎ出す詞には、怒りや憤怒は微塵も無い。が、それらの詞の無いかわりに、優しさと清々しさがあふれている。

  だから私は若いころ、自分の心に憤怒の思いが溜まった時は、河﨑さんの詩集を引っ張り出して読んだこともあった。そうすると不思議と心が落ち着いた。

  昨夜の真夜中には、詩集のなかほどまで読んだ時に、あらためて本の装丁をながめていたら、背表紙の帯文のところに『「少年」の詩心』と表題のように記されていた。

 あれから何十年かの時間が過ぎたのかも知れない。が、私の脳裏には、あの美しくて優しい河﨑さんの詩の詞と、その作品に一致したような涼やかな御所人形のような青年の顔をした河﨑洋充という詩人の顔が幾年経っても浮かんでくる。帯文の背に『「少年」の詩心』と記した装丁者の気持ちがわかる気がした。

  直に話すと、結構きついことも言っている筈なのに、不思議なことに彼が語りだすと、その言葉は美しくて、優しく聞こえる。このたび届いた詩集『菜の花の駅』には、それらの優しい詞がぎっしりと詰まっている。

 が、この優しさは「憤り」の反語なのかも知れない。

  私は軽~く、驚いた。数十年も前に逢った筈なのに、河﨑さんはこの詩集の中で、あのころのままで、いや、さらに一段と優しく、切ないのでは無く、かなしいほどに美しくしい詞を紡ぎ出していたのだ。

 が、やはり、この優しさは「怒り」の反語なのかも知れない。

  太田登先生の解題は、河﨑洋充という詩人のすべてをみごとに語っている。太田先生は「失われた幼いころの記憶をとりもどすように、「大人になりそこねた私」がいまも変わらずにいること自体に、詩人河﨑洋充の真骨頂があるように思われる。」と。このするどい「人間・河﨑洋充」の観察にも感動した。

 【つぶやき】

 この詩集はアマゾンで買えるのだろうか。手にとって読んでほしい1冊なんです。

 私の気に入りの頁を少しだけ写真版で載せておきます。

 

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 他に、太田登先生の「解題」と著者の「あとがき」には、石川啄木に触れるカ所もあるので、この2つの文章は私のコレクション「啄木文献収集目録」の本年度分の中に加えさせて頂きました。

※ 河﨑洋充詩集『菜の花の駅』(2018年8月15日発行)A5判/127頁/定価:2000円+税

※ 発行所:(株)編集工房ノア大阪府大阪市北区中津3-17-5/電話:06-6373-3641)

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『飛行機の高く飛べるを。』劇団 コバルタ が 公演「新宿スターフィールド 」で

病床で啄木の歌集と出会い…『飛行機の高く飛べるを。』公演 8/24~26

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[『飛行機の高く飛べるを。』チラシ]

 

コルバタ主催第19回公演

 『飛行機の高く飛べるを。』

 

脚本/平山陽  演出/ささおかみゆき

  ささおか組が動きだしました!

  テレビプロデューサー平山陽が遂にコルバタに初参戦!!

 

監修/大室精一(国際啄木学会副会長)& 佐藤勝(国際啄木学会理事)  

ぐうたらな生活をしていた男がある日、肺がんになり病床で啄木の歌集と出会う。

儚く散った啄木へ憧れ、死にたい願望を募らせるが、

ひょっとした所で出会った啄木女子会が終焉の地の歌碑建立に動いていた。

その中で、嫌々ながらも輪に加わっていく。

区とのやりとりに、憤りを感じたりしながら成長していく。

 

『飛行機の高く飛べるを。』

  • 公演期間 2018年8月24日(金)~8月26日(日)

     8月  ・24日(金) 19時

        ・25日(土) 14時 / 19時

        ・26日(日) 13時 / 18時

 

  • 出演 卯木浩二、みき、高橋春菜、斉藤恵太、八木井里緒、森下凛央
  • チケット:¥3500
  • 劇場 新宿スターフィールド

    住所 東京都新宿区新宿2-13-6 光亜ビルB1

    都営新宿線新宿三丁目」駅から徒歩3分

※おことわり ◆ この情報の紹介は「啄木の息ブログ」(http://d.hatena.ne.jp/takuboku_no_iki/)から転載させて頂きました。

 

コルバタHP

記事

啄木の「歌碑建立」に秘められた謎があった?

国際啄木学会の東京支部と地域住民が一体となった、啄木の終焉の地に「啄木歌碑建立」を、の運動が実を結んだのは3年前であった。

 このたび「劇団コバルタ」によって、その劇的な事実の経緯を脚本家の平山陽氏が創作舞台劇として再現されました。そこには啄木を愛好する人も、研究する人も、そして、過去から蘇った啄木?さんも登場して、当初は無理かと思われた「啄木終焉の地へ歌碑建立」の夢が実現しました。

 その感動の物語を舞台で鑑賞して見ませんか。

上演期間の日程 は、2018年8月24日(金)~8月26日(日)【24日19時~・25日14時~19時~・26日13時~18時~(全5公演)】

自由席3500円。

会場:新宿スターフィールド。

住所 新宿区新宿2-13-6 光亜ビルB1

お問い合わせ ・お申込み info@iandifactory.com

又は、「湘南啄木文庫」のホームページより佐藤まで。

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